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なぜ茶室の戸は閉められなければならなかったのか
第4章 閉ざされた茶室空間の謎解き

なぜ茶室の戸は閉められなければならなかったのか
第4章ー閉ざされた茶室空間の謎解きー

庭石

気になるキーワード「結界」

「なぜ茶室の戸は閉められなければならなかったのか」、茶の湯の歴史と禅との出会い、利休、そしてその茶室からヒントを探してきました。利休を、今日にまでつながる茶道のお手本と考えるとしたら、「茶室で庭でも眺めながらお茶をいただこう」というよりは「茶室の戸は閉めるべきだろう」くらいの雰囲気までは、ようやく掴めて来たと思います。
もう少し茶室の戸を閉めるべき、はっきりとした理由がないかと探していたところ、ところどころで目にするある言葉が気になってきました。それは「結界(けっかい)」という言葉です。 ひとつの例として、「躙口(にじりぐち)」について書かれた文を挙げてみます。

「にじり口は俗世間(茶室の外)と聖なる空間(茶室の中)を隔てる結界の役割をはたすものといえる。」
※出典:表千家不審菴Webサイト

魔界の香りが漂ってくるような、何となく怖い響きがする「結界」という言葉ですが、もともとは仏教ととも日本に入ってきた仏教用語で、修行において一定の領域や場所を制限して区切る、「界(さかい)」を「結ぶ」という文字通りの意味だったようです。後に密教の影響を受け、内側を浄域(聖域)、外側を不浄域(俗域)という意味も生じたといいます。日本古来の信仰である神道(しんとう)においても同様の考え方があり、鳥居やしめ縄などが結界として、それより中は浄化された神聖な領域であるということを表しているそうです。

では、利休の時代に、「結界」という言葉はどのように捉えられていたのでしょう。浄域(聖域)と不浄域(俗域)の境を結ぶ、という意味を含んでいたのでしょうか。もしそうだとすれば、茶室の戸を閉めなければならなかった重要なヒントとなりそうです。
それを確かめるためには、神道、仏教、密教、そして禅宗の歴史を、時代を追いながら見ていく必要がありそうです。

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