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大谷石とは何か。宇都宮への旅

大谷石とは

大谷石の採石跡 / 大谷景観公園

大谷石とは

凝灰岩の岩山 / 大谷景観公園

大谷石は、栃木県宇都宮市北西部の大谷町付近一帯で採石される凝灰岩(ぎょうかいがん)の石材です。
凝灰岩は、約1,500万年前、現在の大谷町付近が海だった頃、海底火山の噴火によって噴出した、軽石や火山灰、熔岩などの火山灰性の物質が、海中に堆積し凝固してできたと言われているようです。

大谷石の歴史

大谷石は柔らかくて加工がしやすく、江戸時代頃から石垣や塀のほか、耐火性、調湿性に優れ、消臭効果もあるということから、味噌や酒、醤油など醸造飲食品を保存する商家の蔵にも石材として利用されてきました。
かつては馬で石を運んでいたため、その殆どは宇都宮周辺で使われていたそうです。その後、明治時代には馬車に、やがて人車軌道というレールの上を人力で押すトロッコのような貨車が使われるなど、より遠くへ石を運ぶことができるようになります。大正時代には鉄道が開通、そして昭和に入ると鉄道から次第に自動車へと、時代の変遷とともに輸送手段も発達。昭和30年代に入ると採石も機械化され出荷量も飛躍的に増加し、東京や横浜にも大量に出荷されたということです。

大谷石の名を広めた旧帝国ホテル「ライト館」

帝国ホテル
旧帝国ホテル中央玄関(明治村) / *Yaco* / CC BY-SA 2.0 DEED / Source: Wikimedia

大谷石の知名度と建築材としての認知度が全国に広まったのは、アメリカ人の建築家フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)が設計し、1923年(大正12年)に竣工した旧帝国ホテル新館(ライト館)によるものと言われています。建物を支える構造的な用途のみならず、暖炉や柱、階段などにも使用されるなど、内外装を含めた意匠的な意味でも、大谷石が効果的に取り入れられた、として高く評価されているようです。
また、ホテル建設用に大量の石材を切り出した採石場はホテル山(トウヤ採石場)と呼ばれ、現在でも宇都宮市大谷町付近(田下町)に残っています。

大谷石の豆知識

せっかくなので何か大谷石にちなんだお土産でも… と思って、次の章に出てくる地下迷宮「カネイリヤマ採石場跡地(大谷資料館)」に併設されたお店を覗いてみました。

基本的には建築用の石材なわけですが、例えば、大谷石を削って作ったライトであるとか、キャンドルスタンド、植木のポット、そして※なぜかカエルの置物などが売られています。ただ、軽めとはいえ「石」なので、旅行者にとっては、より軽くてかさばらない小物が良い、という合理的ながら少々打算的で残念な判断から、石見本のようにも見える、10cm角くらいの板状にスライスされた「コースター」と書かれていたものを買いました。

大谷石(緑色凝灰岩)の表面
お土産に買った大谷石コースター

ところが、その「石の板」を見てみると、知っていた大谷石の色味とはどこか違う。暖色系のクリーム色というイメージなのですが、なぜか緑がかっているんです。ちょっと不思議だったので、調べてみました。

大谷石は凝灰岩というものでしたが、凝灰岩は凝灰岩でも、大谷町付近で採れる凝灰岩は緑色凝灰岩(りょくしょくぎょうかいがん/グリーンタフ)と言うそうです。緑色なのは、薄い緑色の鉱物を含むためで、産出される場所によって色味が異なるそうです。
採石直後は水分が多く緑がかっていて、乾燥が進むにつれクリーム・ベージュっぽい、いわゆるイメージしていた大谷石の色に落ち着くとのことですが、大谷石に含まれる鉄分も酸化するため、それも表面が茶色っぽくなる要因の一つになっているようです。

もろくて崩れやすいコゲ茶色の斑点部分は、「ミソ」と呼ばれています。粘土鉱物、不純物、異質物など諸説あり、成分由来ははっきりしていないようです。
また、大谷石に含まれるゼオライト/沸石(ふっせき)という多孔性の鉱石には,消臭・防カビ効果があることも分かり、経験的に蔵の石材に使われてきたことが、科学的にも証明されたと言えます。

※大谷町が、かつて荒針町と呼ばれていた頃から伝わるカエル伝説があるそうです。

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